3.17参議院議員会館内学習会での船橋秀彦先生のお話
船橋英彦先生の発言記録
3月17日午後1:00~ 3:30参議院議員会館会議室102号で開催
議員さんのコメントが終わったあとで船橋先生のお話が伺えました。
せっかくですので、私の方で感想を少し述べさせていただきます。
百溪さんのように強い主張にはなりませんが、3点ほどお話します。
日本の出生前検査でダウン症だとわかったときの中絶率の高さ、これが私は、妊婦の自己決定的な判断によるわけですが、その主観的な判断の背景にある否定的な障害者観が問題だと思うのですよ。実はその障害者観、これがハンセン病、らい予防法、あるいは優生保護法、半世紀に及んだんですよ。教科書、保健所、その中で障害者は劣っていると、実際作られてきている障害者観、それがかなり影響していると思います。
これもですね、過日の優生保護法訴訟の大阪高裁判決では障害者らに対する差別偏見の正当化、更に助長してきたということで、国の責任を正義と公平の理念から述べているんです。ところが、この事実に対して、国の方は上告してるんです。ですから、そういうふうに、障害への偏見差別が国が作ってきたものだということを上告しているわけです。そこのところが私は大きな問題だと思っています。
何かというと、まず国がすべきことは今まで日本の中で作られてきた、障害者に対する偏見差別、これを取り除く、そのための情報、これをあらゆる手段で、学校教育や保健所といったところを含めて、国民に知らせていく、そのことをしない、上告しているのですから、しないで、片方で出生前検査の情報を流すということはやはり全体としてみた時に国の責任が問われるべきではないかなと思います。
振り返れば、ハンセン病差別、これを支えた国の政策はありますけれど、それをまた支えたのは国民の哀れみ、ハンセン病の人たちは怖い、恐ろしい、そういう感覚が実はあったわけですよね。優生手術にしても否定的な障害者観があるわけですが、それを実際のところで支えてたのは人々の、障害のある人達は可哀そうだとか、劣っているとかの主観です。ですから、今回、単に妊婦などが主観的な判断、自分で決定する、その事をもって免罪されるということではないということが第一点です。
2つ目は、私は福祉型専攻科ということで、ダウン症の人を含めて、18歳以降の学びの場にいますので、実は今度卒業式があるのですが、卒業にあたって、39歳になるダウン症の女性が卒業前に友達に書いたメッセージがありますので少しだけ紹介させてください。
友達の思い出。Rくんへ、Rくん、シャンティーに来ていて楽しい?Rくんの笑っている顔が好きでした。その笑顔でみんなを笑わせてください。
Tさん、自主企画で嵐のライブの映画を見に行ったね、私の夢がかなって嬉しかったし、楽しかったね。2年生になっても頑張ってください。
Nさんへ、入学式の時にエレキギターを弾いていたNさんはかっこよかったです。Nさんのおかげで、打ち上げ花火という曲を覚えたし、楽しい思い出になりました。シャンティーのリーダーとして頑張ってください。
そして2年間シャンティーで自分が変わったこととして、①突然振られても話せるようになった。②積極的になった分友だちができた。③全部ではないけれど百人一首を覚えた。と自分を見つめている。そして、後輩へのメッセージとして、シャンティーは勉強になるし楽しいところです。失敗しても一つ一つが勉強なので、頑張ってください。と、書いて自分の将来について、この方は山形県から来たのですが、山形県に帰って親とシェア生活しながらゆっくりと仕事を見つけてやっていきたいです。と語っています。
昔と違って、出生前検査の対象とされて否定されているダウン症の青年たちっていっぱいいるのですよ。そして生き生き、先ほどもありましたが生き生きと、生きているんです。その事実、そこをきちんと、見てほしい。そのためにはその人達の声、その人達当事者にこの問題を聞かずに進めてはならいと思うのは、ハンセン病で悪かったのはハンセン病の患者、回復者たちの声を聞かなかったことです。優生保護法でも、本人たちの声を聞かなかったことです。それが弱点になっているわけでしょう。
この問題についても、ダウン症の青年たちがいっぱいいるわけですから、この人達の声をまず聞くという事が大事だと思います。
3つ目です。これは私の障害児教育40年、40年間これだけしかしてきていなかったので、そこからの経験です。そこからダウン症者は決して否定される存在ではないということなのですよ。これは経験から生まれていることなので、皆さんにうまく伝えられるかわからないのですが、それが私の結論です。それが同じ当たり前の人だということです。
ちょっと余談になりますが、このあいだ、韓国のテレビでダウン症者同士の結婚を扱った映画がありました。これは面白かったのですけど、そこに出てくるのはダウン症の俳優です。その俳優、私達も見に行ったのですが、ナザレ大学のリハビリテーション自立支援学科の卒業生だと思いますけれど、これはドラマですけれど、この二人の結婚に障害者の福祉館というのが韓国にありまして、これは作業所みたいなところですが、そこのスタッフがこんなふうに言うんです。
「二人が良ければそれでいいの?あなたとちゃんさんは普通の人と違うでしょ?ダウン症でしょ?知っているでしょ子供のことは考えないの?全て遺伝するとは限らないけれど、両親がふたりともダウン症だと、遺伝率も高くなる。二人のせいで子どもが、子どもがダウン症で生まれてくる事があるのよ。」というふうにダウン症の俳優の主人公の方に言うわけです。
これに対してダウン症の女性は次のように応えました。「でも、子どもが親に似ることはそんなにいけないことなの、?私は子どもがチャンさんに似てほしいと思ってる。もちろん、優しくて賢くて、コーヒーを淹れるのも上手だし、面白いし、ダンスも上手だし。」と述べているんです。これはドラマの世界ではありますけれど、ダウン症の子が生まれること、遺伝、それがイコール悪いこと、否定されるべきことではないという考え方、改めて問い直す定義があると思います。ダウン症の彼に似てほしいという思い、これは遺伝イコール不幸という図式を覆してきます。で、このドラマは二人の結婚式が描かれています。少なくとも、否定的な障害者像に基づいていないドラマです。
今、新しい可能性がダウン症の人たちが切り開いているんですね。そのことを大事にすべきだろうと思います。
最後に、人の命って有限なんですよね、寿命がありかつ一回限り、だからかけがいのないもの、短くとも長くても、たかだか100年でしょう。その生命の連続で人は人類の歴史を作ってきたのだと思います。その歴史を振り返れば、命を選別する歴史は対立、差別、殺し合い、先程のナチスのドイツのT4に繋がりました。いま大事なことは生まれてくる命とともに生きる社会を目指して、私達人類の歴史をどう作っていくことかと思います。競争が人間の原理ではなく、共同こそが人間の原理だと思っています。
(文字起こし、文責:百溪英一)
ダウン症の人たちのアクティブに生きる姿のパネルを見ながら船橋先生の話を聞く厚労省のお二人。