DSIJ/JDSN 活動の歴史

私達の国際組織との連携活動は1995年10月1日にシンガポールで開催されたダウン症の国際会議から始まりました。
翌年5月には、第2回アジア太平洋会議(ダウン症症候群)が開催されて大成功を収めました。

1996年9月にシンガポールのダウン症候群協会として正式に登録されました。この協会は1997年7月4日に全米社会福祉協議会から公式に認定されました。
1995年5月17日 シンガポールで開催された 「第2回アジア太平洋地域ダウン症会議」 代表者円卓会議に百溪と中田(筑波大学)が参加(ダウン症に関する国際活動の基点となる。)ここでシンガポールのダウン症候群支援グループが集まって国レベルの協会を発足させました。ここに出席した現DSIJ事務局長は日本の代表になって欲しいと要請されました。

1996年 フィリピン・マニラ市で開催されたアジア太平洋ダウン症連盟(APDSF)会議で百溪が副会長に推薦された。
1997年年 スペインのマドリードで開催された第6回世界ダウン症会議(FIDS=DSIの前身)出席にJDSN代表団メンバーとして参加。特別講演を行った。
2000年 オーストラリアシドニー市で開催された第7回世界ダウン症会議にJDSN代表として百溪が出席。
2003年3月 第8回会世界ダウン症会議(シンガポール)海外組織委員に就任。
2004年よりアジア太平洋ダウン症連盟(APDSF)、コーディネーター
2004年より 世界ダウン症連合(DSI)理事に就任
2005年 IASSID(国際知的障害科学研究)会議(台北市、2005/6/12-15)に出席。
2005年 日加科学技術国際交流会議「ダウン症やその他の知的障害を持つ人と家族のQOL向上」を企画開催。
東京、カナダ大使館(科学部と共催)、9月19日。
2006年3月 世界ダウン症連合(DSI)の提唱した「世界ダウン症の日」を3月21日決め、様々な社会啓発活動を実施した。
2006年8月 第9回世界ダウン症会議組織委員(バンクーバー市、DSI理事に再任)
2006年8月  アジア太平洋地域ダウン症会議開催(バンクーバー市)会長として総会を開催した。

その後、JDSN日本ダウン症ネットワークは2002年2月に全国組織のNPO法人化された。
JDSN発足から約10年間全国で「日本ダウン症フォーラム」を開催したり、インターネットを通じて情報提供をした。

しかし、民主的な運営を求めて、定款上理事を20人と多く設定しすぎ、意思の疎通を欠く理事会運営や子ヤギの会(その後の日本ダウン症協会)や一部の医療者らからの妨害工作が続き正常な目的達成が困難になった。監督機関の内閣府の担当に相談をして、解散することを決定しました。その後、内閣府の了解のもとでHP以外の活動を一切停止して、コアな発足問会員以外からの会費納入も止まった。

2009/12/20 内閣府の指導もいただき、残存した数名の役員でつくば市において総会を開催して、法人の財産は日本ダウン症協会、DSI(世界ダウン症連合)、日本患者家族連合会、全障研など福祉関係団体に寄付をして残務整理を行った。

2010年01月12日に法人解散の登記が完結した。(内閣府ポータル参照)
10年間に渡るJDSNのNPO法人としての活動に終止符を打った。解散の理由は「社員総会の決議 (法第31条1項1号)」による。

その後、 国内の緩やかな組織間のつながりやJDSNの国際交流関係や海外対応を重視した情報センター機能を強化するDSIJを設立しました。

DSIJはJDSNの時代から地域の下部組織などは作らず、インターネットの概念に沿った連携と情報交流、情報の普及によりダウン症を持つ方々や家族そして障害を持つ方に住みやすい社会の実現に努力するという方針を守り活動を継続しております。

2012/03/14 にWDSDのポスターを公開
世界ダウン症の日公式参加作品 DSI, DSIJ後援で国際的に高い評価を得ました。

2016年の世界ダウン症の日にはDSIJとして新たなキャンペーンポスターを作成しまして国内海外に発信をしてきました。
2017年3月21の世界ダウン症の日(World Down Syndrome Day)を記念するDSIJの事業として、ダウン症のピアニスト越智章仁さんのコンサートを記念事業として支援しました。キャンペーン用のポスターもリリースしました。
2019年3月にはDSIJ独自のWDSD啓発のポスターを茨城県ダウン症協会の協力を得て、作成して国内にはFBやツイッターを通じて、国際的にはDSIを通じて情報の拡散を行いました。

 

 

 

 

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