人権優生政策出生前診断教育生命倫理論文

論文:新型出生前診断とダウン症を持つ人の人権

障害者問題研究43巻2号掲載論文

和文抄録
我が国では諸外国に比して出生前診断に関連する生命倫理や障害者の人権などに対する配慮が良好であったが、2012年から新型出生前診断と呼ばれる母体血中の胎児由来遺伝子の解析による非侵襲的出生前遺伝学的検査(NIPT)が急激に紹介・導入された。これは一方的なマスコミ報道で始まり、従来の当事者や障害者団体などとの話し合いはなされなかった。出生前診断と生命倫理については論議されてきたが、科学情報の伝達と歪曲、誘導の問題、出生前診断はその対象となるダウン症を持つ市民の基本的人権や社会に対する影響が危惧されるが研究は乏しいため、その影響のシミュレーションと問題点を概説する。

キーワード
ダウン症、新型出生前診断、NIPT、医療情報、基本的人権、ヘイトスピーチ、いじめ、医療経済、


原著論文

新型出生前診断とダウン症を持つ人の人権
百溪英一 東都医療大学教授(現在は東都大学客員教授)*2016年当時

Title: Effect of non-invasive prenatal genetic testing to human rights of people having Down syndrome

Author: Eiichi Momotani, Department of Human-care, Tohto College of Health Sciences, 4-2-11, Kamishiba-machi, Nishi, Fukaya, Saitama 366-0052, Japan

はじめに

2012 年8 月29 日の読売新聞第一面に大見出しで取り上げ、「簡単な血液検査で、お腹の中の赤ちゃんにダウン症の障害があるかどうかが分かる新型出生前診断」との報道をマスメディアが繰り返し、翌年4 月からその運用が始まった。妊娠期間を経て出生する以前に、障害や疾病を見つけだす技術が出生前診断で、新型出生前診断は妊娠中の母体血には胎児細胞由来のDNA断片が全体の10%位含まれることから、トリソミーの胎児由来の18番や21番染色体にあるDNAが通常より1本分増加することを検出するものである(Bennら2013、斎藤2013、酒井2013、河合2015)。人は出生後に法律的権利を有するとされるが、受精卵から連続的に成長してきた胎児に対して、出生前の特定の時期まで人とみなさないことは奇妙で、出生前診断は駆け込み殺人行為の幇助と見ることもできる(Shakespeare 1998)。出生前診断と中絶については生命倫理の観点(八藤後ら2005), や宗教的な観点(利光2012, 藤山2012)などから長年論議されてきたが、検査法の医療経済的な評価に言及した論文もある(Morris S, et al. 2014、澤井2013)。この経過については松原の論文に詳しい(松原洋子2014)。本稿ではこれまで考察が不十分な出生前診断とその報道がダウン症の人に及ぼす人権、そして社会的影響について概説する。

出生前診断技術やその報道がダウン症者に対する影響

出生前診断の論議はしばしば胎児の生命倫理の点からなされることが多いが、果たしてそれだけで良いのであろうか。著者はこの技術や更にマスコミによる大々的な報道がダウン症の人の心を傷つけ、そして障害に対する大衆の見方に明らかに悪影響を及ぼしている事を危惧する。私達が理解すべきことは、日本で生まれるダウン症の人は日本国憲法第11条「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない」ことである。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。」を始めとした、第10~40条までの合計31の条項により護られている。これには平等権(差別されない権利)、自由権(自由に生きる権利)、社会権(人間らしい最低限の生活を国に保障してもらう権利)、請求権(きちんと基本的人権が守られるように国にお願いする権利)、参政権(政治に参加する権利)などが含まれる。

ダウン症の属性を持って生まれた乳幼児は家族の一員として生活し、幼稚園や保育園、そして義務教育期間の子どもたちは仲間とともに成長期を過ごし、卒業後には様々な職場や福祉的就労の場などで社会参加している。様々な特技や芸術的才能で多くの人を元気づけたり楽しませたりと社会貢献をしているダウン症の人は数えきれない(百溪2004, Scott ら2014)。障害の有無によって生命が価値づけられるものではない、社会の環境さえ整えば、障害の有無は人生の幸不幸には関係ないのである(玉井1999)。出生前診断の報道は、「ダウン症の人は生まれる前に検査をして淘汰をされても良かった人々」だという刷り込みをする社会啓発であり、人権無視も甚だしい差別行為である。どのような属性によっても人は平等であることを保障している日本国憲法に対する明確な違反である(堀田2014)。報道する者は「ダウン症の人は知的障害があるから、このような出生前診断のキャンペーンをしても、どうせわからないだろう」、と思うのか、存在そのものを無視しているのかもしれない。そうでなければ人権を蹂躙する憲法違反の報道はできないであろう。法律家、一般市民そしてダウン症児者や親の会から強い問題提起や継続的人権論争がまだまだ不十分である(百溪2014)。

出生前診断の報道とヘイトスピーチ(差別暴言)

  • ヘイトスピーチ

近年、人種差別的な暴言を吐いて街を練り歩く行為が報道され、国連からも指弾されている(樋口2012)。ヘイトスピーチは「人種、民族、宗教、性別等の集団に対して、

憎悪等を表明する表現」であり、マイノリティーに対する「差別、敵意又は暴力の煽動」であり、「表現による暴力、攻撃、迫害である」とされる(堀田、2014)。新技術紹介のように見える出生前診断報道の真の目的はマイノリティーであるダウン症の人が検査により淘汰されても構わない、価値が低い人間であるかの誤解を大衆に刷り込み、夫婦に当該検査を安易に想起させて、かつ罪悪感なく検査を躊躇する時のハードルを下げる効果があるだろう(松原 2014)。インターネット上の「出生前診断」を検索すると、様々な切り口の情報の中にダウン症の子どもの子育てや経済的な困難さなど、虚偽の情報が巧妙に織り込まれている事例を知ることができる。

近年、STAP細胞の報道が大々的になされたが、通常の医学的研究はノーベル賞受賞報道以外では小さな記事である。その通例からすると、なぜ一部の人対象の医療技術がここまで大々的に報じられたのか、その理由を詳細に明らかにする必要がある。著者が聞いた出生前診断推進派の産婦人科医師の話しによれば、「新型出生前診断報道は米国内のある事情により国内販売拡大ができなくなった出生前診断技術を日本に売るためのものであった」という。この異例な検査報道キャンペーンに関連して当時の田村厚生労働大臣が肯定する発言をしているが(厚労省HP 2013)、背景にはいかなる米国企業の要請と日米政府の動きがあったのか詳細な調査が必要である。この報道が営利目的であったにせよ、ダウン症の人の立場を無くする社会啓発(広告)をマスコミが全国規模で行い、基本的人権侵害をした認識を持つべきである。かつて、原発の安全神話を構築する過程でなされた新聞記事を装った広告と同様の手法かもしれない(中野洋一, 2011)。

新型出生前診断の報道後にはダウン症児者や擁護者の団体に対するヘイトスピーチがネット上に展開された(藤山2012, 酒井2013)。これは「ダウン症がわかる精度99%」、「血液だけで簡単、確実」、「流産の心配もなし」と言ったマスコミ報道が拡散された結果、報道後の8~9月には「妊婦の97%が賛成(*上述のようにこの数字自体がトリックであった)」しているのに、ダウン症協会は反対しているという対立図式が盛んに報道されたためである。この検査に対する当事者のニーズがいかに高いかを大衆に印象付ける「医療機関への問い合わせが多い」という報道もなされた。さらに、「妊婦は皆受けたいのに、あなた達のせいで検査が中止され、そのせいで自分にダウン症の子どもが生まれたらどうしてくれる!」「ダウン症の人がいなくなると協会が立ち行かなくなるので利権のために反対しているのだろう!」などダウン症協会へのクレームやネット上での誹謗中傷があふれた。(酒井、2013, 藤山2012)遺伝子医学の研究とともに経済優先の功利主義が進む現代社会では命や人権の観点から慎重な検討や論議が必要である。

  • 過去の出生前診断と新型出生前診断論議の動きの違い

これまで我が国ではおおまかに3回の出生前診断の津波が押し寄せた。2013年の新型出生前診断以前にも日本では出生前診断を進めようとする産婦人科医会とそれに対する問題提起が患者団体などから提起され、2度にわたって一定の歯止めがかけられてきた(玉井1997, 酒井2013, 藤山2012, 利光2012,)。

  • 過去の経過

1970年代に兵庫県が公費負担による羊水検査を提案したが、障害者団体の異議申し立てにより中止した。そして1990年台後半には、出生前診断の普及と、障害を理由とした中絶を可能にする「胎児条項」の「母体保護法への導入」を目指す日本母性保護産婦人科医会(現在の日本産婦人科医会)と障害を持つ生命に対する差別に反対する障害者団体の論戦が厚生科学審議会先端医療技術評価部会でなされた。討議の結果「医療者が本検査の情報を妊婦に積極的に知らせる必要はない」と厚生省局長通達が出された(1999/07/21、児発第582-583 号)。これは当事者団体の「障害を持つ人の存在否定につながる」という主張が汲み取られた局長通達の趣旨だった。この「局長通達」は現在も有効である。ここで重要な事は当時の厚生省は、推進側と反対をする障害者団体、女性の人権団体や不妊症の自助の会などの代表意見を聞き論議する公開討議の場を厚生科学審議会に設けたことである。著者も傍聴に参加した。しかし、2013年にはこのような意見交換の場開かれずに、新聞の第一面への掲載という、強引な社会啓発がなされた。これは1990年代の「胎児条項」を母性保護法に明記し、障害を持つ胎児を妊娠後期でも中絶可能にしようとした目論見(藤山2012, 利光2012)が達成できなかったことからの暴挙であると思われる。最近の国の動きを見ると、国民の意見や望み、基本的人権を蹂躙しても政府主導の閣議決定や強行採決で進める風潮があるが、出生前診断という弱者をターゲットにした人権侵害においても同様の背景があるのであろう。

  • 人権尊重を考慮した厚生省局長通達を厚労省大臣が無視

しかしながら、2013年3月には田村厚労相が「新たな出生前診断はこれまでの検査と違う点もある。そろそろ全般を検討する時期に来ている。」などと発言しその理由も説明しないまま、厚労省は「新型検査については日本産科婦人科学会が定めた指針を尊重するよう関係者に求める」発表をした。出生前診断が基本的人権問題であることを認めて出された局長通達を完全に無視し、権益を有する学会に判断と中身を丸投げしたのだ。従来技術と手法は異なってもダウン症の胎児を見つけて中絶に導くという趣旨は変わらず、人権侵害という本質的な問題も同じである。それにも関わらず厚労省は収益増が期待される米国の検査試薬製販売企業と日本産婦人科医会の意見を代弁するばかりで、人権侵害にあう当事者や養護者(国民)の意見を聞かなかった事自体が主権者無視の憲法違反ではなかろうか。特に、厚労大臣が憲法を無視して主権者であるダウン症の人の人権を蹂躙する発言を行い、マスコミが野放しに報道してこの蛮行を支援することは憲法違反の反社会的行為ではないか。

  • 出生前診断の情報伝達の仕組みと世論操作
    情報伝達と世論操作

なぜ、大衆は世論操作を意図する国や権力機構の思うままに操作されてしまうのであろうか。一般大衆と医学情報など専門的な情報の接点を知ることは、意図的な世論操作から身を守るために重要な事であるが、理解している人は少ない(Millsら2012)。1)学会の勧告や、科学者の意見は直接大衆には伝わらない。医学論文を普通は読まない。2)そのため大衆はメディアからかなりの量の健康や遺伝の情報を得ており、依存している。3)しかし、新聞などのマスメディアは様々な要素を加えて要約加工して伝える。4)学者らや関連企業は大衆とメディアが密接に繋がる仕組みを把握している。5)メディアは個人の情報理解を規定するだけでなく、考えるきっかけを与える。すなわち、直接的な指導はせずとも特定の感情や行動を誘導が可能である。この一般市民がマスコミの情報に依存しているにもかかわらず、ジャーナリストによる遺伝医学情報が正確さを疑問視する学者もいる。 (Ten Eyckら2001)。メディアは情報をコントロールしているのである。

政府や企業に都合の良い情報を流すこともある。NHKの坂井律子氏は「99%という報道が実は不正確なもので、遺伝子診断後に羊水検査などの侵襲性の検査を受けて確認しなければならないことを情報とマスコミの理解不足で聞き手に誤った印象を与えたこと。また、「97%の妊婦が賛成」という情報も昭和大学病院などでのアンケートで、67人が回答をし、賛成は38名で反対1名、残りの28名は無回答だったのを、39名の回答中38名だからで97%が賛成だというトリックであることが判明。」を指摘し、医療側とマスコミ側による内容の不備を総括している(坂井、2013)。

出生前診断報道の社会的影響をシミュレーションする

「ダウン症の人は殺されても良かった人間」などという刷り込みをする新型出生前診断報道はダウン症を持つ人にどのような影響を与えるだろうか。1) 子どものいじめは社会問題であるが、従来の偏見をより悪化させてダウン症を持つ子どもに対する虐めを促進する可能性がある(玉井1997,杉森 2015)。2) さらに、経済的に選別する技術や(澤井2013)、ダウン症を持つ人の医療・教育・社会福祉が経済的な無駄ではないかという医療経済論という人間無視の考え方が台頭してくる可能性がある。3) 繰り返しの報道は障害を持つ人一般に対する差別意識の醸成をするであろう。障害を持つ人を大切にしない社会は、持たない人にとっても住みにくい環境である。4) さらに老人や病気を持つ人に対する差別観が高度化され、5) 障害を持たない人をも含めた基本的人権の崩壊が起こる可能性がある。こういった偏見の推移は、当初知的障害者や身体障害者をガス室で殺したのちに、ユダヤ人という属性を持つ人の皆殺し計画に発展したナチス・ドイツの歴史的過程の中に見ることができる(八藤後、水谷2005)。ナチス・ドイツの歴史に見るように人権侵害を進める国家では近隣諸国に対する侵略戦争も平然となされることにも傾注すべきであろう。

  • 出生前診断と医療機関でのカウンセリングの質

出生前診断は親の希望、カウンセリング体制(玉井真理子1998)、自己決定がされれば問題なしだとする意見もあるがどうであろう。新型出生前診断実施後、半年で3500人が受診し、陽性67人中、陽性が確定した56人の大半の親が中絶したという(酒井、2013)。この報道を見ると検査や中絶手術を実施する医療機関が行うカウンセリング体制がダウン症の人の命を救う機能を発揮していないことが明確で、このままではダウン症や他の障害を持つ人の人権が、なし崩し的に侵害される状況がある(百溪2014)。著者はダウン症の人や家族について十分理解した、優れたカウンセラーが中絶を実施する医療機関において継続雇用されうるものか疑問を持つ。新型出生前診断は、生命の尊厳を崩しかねない生命の選別、優生思想につながる危険性が高い医療技術である(八藤後2004、山崎2004)。

  • おわりに

この問題について、著者はPubMedによる文献検索を行ったが、検査により淘汰される属性を持つ「本人の人権」や社会的な影響に関する研究論文は乏しかった。今後は、出生前診断に関するカウンセリングを優生保護指定医療機関ではなく、オーソライズされたセルフヘルプグループや第三者機関で実施するべきである。さらに医学界だけでなく差別問題に詳しい法律家や宗教家などの幅広い見識を踏まえた倫理研究を推進し(松原2014)、人権を守る法律(山崎 2004)の監視と強化も必要である。


参考文献

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藤山みどり2012 出生前診断と宗教.,宗教情報2012/10/28,、http://www.circam.jp/reports/02/detail/id=3642

河合蘭2015 出生前診断 出産ジャーナリストが見つめた現状と未来, 朝日新書,朝日新聞出版,ISBN978-4-02-273612-3,CO247.

香川知晶:命は誰のものか.ディスカヴァー・トゥエンティーワン(出版),ISBN978-4-88759-734-1 C0236.

厚労省HP(2013) 田村大臣閣議後記者会見概要,(H25.3.12(火)8:40~8:54ぶら下がり)http://www.mhlw.go.jp/stf/kaiken/daijin/2r9852000002x717.html

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斎藤仲道(2013)出生前診断の現状と今後の展望.福岡医学雑誌,104,10,pp.325-333.

酒井律子(2013)”新型出生前検査”の語られ方とメディアの責任、医学のあゆみ,246,2 pp.181-183.

澤井英明(2013),出生前診断の今―妊娠初期スクリーニングと出生遺伝学的検査を中心にー.医学のあゆみ,246,2,pp.150-157.

Scott M, Foley KR, Bourke J, Leonard H, Girdler S 2014 “I have a good life”: the meaning of well-being from the perspective of young adults with Down syndrome. Disabil Rehabil, 36,15,pp.1290-1298.

Shakespeare T(1998) Choices and Rights: Eugenics, genetics and disability equality. Disability & Society,13,5,pp.665-681.

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